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北海道への旅(その4)

礼文空港を後にする頃には、雨もだいぶ上がってきた。このままでは島の観光をひととおり終えて、車を返却するのみとなった。そこで、道沿いにある神社に立ち寄ってみることにした。
その神社の名前は見内(みない)神社。車を止めて、道の裏側にある入口から中に入る。すると、入口のあたりにノートが一冊置いてある。ここを訪れた人のための自由帳だが、これが面白い。いろんな人のいろんな思いがつづられていて、しばし見入った。
外へ出ると、東へ海が広がっている。右ななめ前には前日までいた利尻島が、大きく見える。うん、なかなかいいところじゃないか。礼文島。
見内神社を後にした我々は、フェリーの出航までまだしばらく時間があることを知っていた。そこで、先ほど行きそこねた桃岩展望台に行くことにした。天候も回復してきたので、きっといい景色が見えるだろう。
ということで、車1台分しか舗装されていない道を行く。途中、歩いて道を登っているツアーの集団を追い抜き、桃岩展望台へ。前日の山歩きで足取りが重いHYとともに、桃岩の見える展望台まで来る。すると、目の前に巨大な桃岩、背後には雄大な利尻富士、と抜群の眺望が我々を待っていた。種類は分からないが、植物もたくさん咲いている。限られた時間ではあったが、周囲の景色を楽しんだ。
短かった礼文島の車旅も、これでおしまい。レンタカーを返却し、フェリー乗り場で帰りのフェリーを待つ。
…いや、もうひとつ確認したいことがあった。それは、桃岩荘の人たちが、フェリーの出迎え、見送りにやってくるのかどうかということだった。HYが出迎えの桃岩軍団を発見、遠巻きにその存在を確認した。
軍団といっても2名、しかし、旗を全力で振り、何か歌っているのは確認できた。その後、駆け足でフェリー乗り場に行ってしまった彼らは、我々の前に姿を現すことはなかった。
フェリーに後のほうから乗り込んだため、またしても外の座席に陣取った。ほどなくフェリーは出航した。
礼文島がどんどん小さくなっていく。今度来るときは、もう少しゆっくり訪れたい場所であった。
そして、礼文島に反比例して、利尻島はどんどん大きくなってきた。昨日自分が登った山とは思えない、悠然とした威厳をたたえた山である。山が近付いてきて、そしてだんだん小さくなっていく。日没とともに色を失い、周囲も暗くなってくる。
稚内に到着することには、日はすっかり暮れて、周囲を闇が包み込んでいた。
稚内到着後、事前に指示されていたとおりに、レンタカー会社へ電話する。するとレンタカーの会社の方が迎えに来てくれた。事務所で手続きを済ませて、ホテルへ向かう。
この日予約していたのは、「ホテルおかべ汐彩亭」。シングルルームを押さえたはずだったが、ベットがふたつ置いてある広々とした部屋だった。まずはチェックインを済ませて、夕食を食べる場所を確認する。ホテルと稚内の駅の間に、飲食店が集まったところがあると聞き、その一角へ向かう。
若干くたびれていた我々は、他の店を確認することなく「車屋・源氏」へ。ホテルでも、観光客によく案内する居酒屋さんとのことであった。
さっそく入ってみると、我々のような者の扱いを心得ていそうなおばちゃんとおやじどのが、いろいろ教えてくれる。まずは気になる「サハリンビール」を2本いただこうとすると、「はじめは1本にしておきな」とのこと。どうもサハリンビールは好き嫌いが分かれるビールのようである。
HYと乾杯し、意外にもサハリンビールは我々の口に合うのでは、ということを知り、もう一本サハリンビールをやる。確かに好き嫌いは分かれるのだろうが、ベルギービールとかたくさん飲んでる人にはけっこういける味なのではないかと思いました。
その後、ザンギやじゃがバター、お店名物のたこしゃぶなど、北海道を堪能して帰った。源氏さん、おすすめです。
汐彩亭には大浴場があるとのことだったが、あまりにくたびれていたために入るのを断念、部屋に戻ってすぐに寝てしまった。翌日は富良野に向かう。

(続く)

北海道への旅(その3)

□8月23日(金)
 この日は、日の出の前に目が覚めた。前日の山歩きも朝早かったため、その勢いが続いて起きてしまったのか、それとも普段と違った環境で眠りが薄かったのか。夢を見たが、何の夢だったかは忘れた。
 窓の外には、相変わらずペシ岬が海に向かって伸びていた。天気は悪くなさそうだったので、とりあえず登って見ることにした。玄関から、徒歩15分ほどの岬の上を目指す。すると、岬の頂上あたりに人影が見える。あまり多くの人が集まるのも風情がないだろうと思い、頂上ではなく少し下がった灯台から日の出を眺めることにする。
 朝早くから、ツバメがたくさん飛んでいる。間もなく、雲の間から太陽が顔を出した。太陽はぐんぐん高度を上げて、前日に登った利尻富士を照らしていく。山の全景はそれまで見えなかったが、この朝は私の前にその姿を現した。雄大なその山に、美しい日の出とともにしばし見とれていた。
 夢海に戻り、朝風呂に入るHYを見送り、しばし時間をつぶす。ほどなくして朝食の時間になった。朝食も海の幸を中心としたおいしいご飯であった。朝食後は、バス停の位置を確認。バスの時刻も合わせて確認した。宿に戻ってからは荷造りしてチェックアウト。夢海は優しいご主人、女将に守られた、心安らぎ、そして心温まるお宿であった。
 宿を出て郵便局のそばでバス停でバスを待ち、フェリー乗り場へ。今回のフェリーには時間の余裕があったので、チケットを購入してコーヒーを購入。すると、ほどなくして乗船が始まった。利尻島のゆるキャラ「りしりん」に見送られ、客室へ。すると、思いのほか人でごった返しているため、やむなく外の座席に陣取る。こちらはすいていた。小雨のぱらつく中、船は利尻島を出て礼文島へ向かう。40分ほどでつく短い船旅だった。朝は雄大な姿を見せていた利尻富士も、だんだん雲がかかってきてしまった。
 船はすぐに礼文島へ。到着後には観光案内をもらい、おみやげ屋さんで傘を購入。雨が本格的に降り出した。次にレンタカーを借りに行く。すでに我々の車は用意されていて、営業所の方が慣れた口ぶりで解説してくれた。礼文島にはそれほど道路がなく、主要な道路の説明と注意事項を簡単に受けるのみであった。満タン返しにしなくていいというのも、嬉しいところであった。
 車を確保したのが11時前後だったので、昼にはまだ早いということで第一の目的地をユースホステルの桃岩荘にした。ここは、数あるユースホステルの中でも異彩を放つ、極めて個性的なところである戸の情報。まずは桃岩に向けて車を走らせる。
 すると、桃岩荘の入り口が見えてくるのだが、「宿泊者以外立入禁止」と書いた柱が立っている。近くに行ってみたいと思っていたのだが、ここはルールを守って行動したい。そばにあった駐車場に車を止めて、展望台より桃岩荘を見下ろし写真撮影。トイレに入って桃岩荘を後にした。それにしても、これらの公衆トイレは、冬にはどうなってしまうのだろう。めちゃくちゃ雪が吹き込んだりして大変なんだろう、とか、冬は閉鎖なんだろう、と思いを巡らせた。
 船着き場に戻ってきた我々は、次なる目的地「ちどり」を目指す。ちどりは礼文名物「ほっけのちゃんちゃん焼き」の元祖となるお店だそうだ。ちゃんちゃん焼きといえばシャケなのだろうと思っていたが、ちどりはこれをほっけでやるという。俺はこれまで、ほっけをちゃんちゃん焼きで食べたことがなかった。これは楽しみだった。
 店は、船着き場から歩いても行けるような場所にあった。雨は相変わらず降り続いていたので、傘をさして歩く。店に入店すると、焼き物のためのいろり(というのか、七輪の巨大なの)が建物の窓際に配置されている。いろりに陣取ると、意外と暑い。メニューは、HYがうに丼とちゃんちゃん焼き、俺がいくら丼と鯨のベーコン。
 料理の詳細は口コミサイトにも多くの情報があるので、参考にしてもらいたい。個人的な感想としては、多くのお金を払っても、礼文島に立ち寄った人はおさえておくべきスポットである。いくらは弾力があり、ウマい。ちゃんちゃん焼きも、翌週には旬を過ぎるということで、ギリギリおいしいところをいただくことができた。ほっけに味噌をつけて食べるという、貴重な経験をすることができた。
 満腹になった我々は、「スコトン岬」に向かう。スコトン岬は「最北限の岬」と称している。最北端でないことに注意する必要があるが、そんなことはどうでもいい。島の東海岸沿いの道路をひたすら走る。途中、数少ない分岐で迷い、礼文空港のほうにいってしまうがすぐに軌道修正。雨脚がだんだん強くなってくるのが気になる。
 途中、最北限のたい焼き屋「よこの」が見えたが、帰りに購入することにする。ひたすらまっすぐ進むと、スコトン岬に到着。駐車場に止めてある車は数台、レンタカーの軽自動車がライトつけっぱなしで止めてあったのが気になりつつも、取り急ぎ岬からの眺めを楽しむために車外へ。すると、雨が強く降りつける。風も強い。なんとか岬で写真を撮ってミッション完遂、と思いきや、岬から下りたところに宿があることを発見。「石を投げないでください」なんて注意書きもある。こんなところによく宿をつくる気になったと関心しつつも、実はその近くにあった廃屋みたいなののほうが気になった。廃屋の隣には鳥の死骸があったりする。近くのカラスたちもなんとなく野生を感じたので、怖くなって退散。
 おみやげ屋さんでは利尻ビールなる地ビールと、トド肉なる肉を購入して撤退。続いて「よこの」に向かう。すると、よこのは閉店している模様。永久に閉店しているのかどうかは不明だったが、店頭に人の気配は感じられなかった。残念な感じを引きずったままに、礼文空港へ。
 礼文空港は、定期便の運行がされなくなってから時間が経っているらしく、入り口は閉ざされていた。なぜか、荷物を積んだ大型トラックが空港の前をたくさん通過しているのが気になったが、我々がお仕事の邪魔にならないように足早に引き上げた。

(続く)

北海道への旅(その2)

タクシーの中で、運転手の方がフェリーターミナルに電話をしてくれた。充電がなかったので私の電話を使ってもらった。これには非常に助かった。聞くと、同じようなシチュエーションで何度も電話しているらしい。到着後、急いで券を購入し、フェリーに滑り込みセーフ。
なんとも慌ただしい雰囲気の中で、フェリーは利尻島に向けて出発。客室は2等。しかし、鹿児島への旅で乗った貨物船に比べると、やはり内装や船室が豪華である。靴を脱いで上がれるようになっているので、自分たちの居場所を確保する。
時折外に出て、風に当たる。観光客も多いのか、外で写真を撮っている人は多い。ほどなくして利尻島が見えてくる。利尻富士は、中腹あたりから雲に覆われている。登山の日は翌日と決めているので、どうか晴れてほしいと願う。フェリーは予定通り、1時間40分ほどで利尻島に到着した。
フェリー到着後、船を背にして右側に岬が見える。調べると「ペシ岬」というらしい。登っていけそうであったが、この日は宿に到着することのほうが優先なので、まずは宿の場所を調べて向かう。
この日の宿は「民宿 夢海(むかい)」。なかなかよいネーミングではないか。チェックインを済ませて、荷物を置く。チェックインの時に、登山計画書に記入。お宿で登山計画書を出すことになるとは、登山客の気持ちを引き締め、万が一の対策をしっかり講じている。夕食が18時30分からと聞き、近くのコンビニ(エブリワン)まで買い出しに向かう。
途中、ライダーハウス「眉倶楽部」がある。興味深そうに眺めていると、マスターと思しきヒゲのおじさんが、「ご飯だけでも食べていってね」と声をかけてくれた。今回は日程の都合上、立ち寄れず残念だった。
エブリワンの買い出し終了後、夕食。海の幸を堪能した、と言いたいところであったが、実は海産物に好き嫌いがあり、心から楽しむことができないのがこれまた残念であった。特に、利尻のウニは有名だが、俺はあまりウニが好きでない。同行のHYがウニをこころよりうまそうに食べているのを見て、「本当においしいんだな」と思った。夕食後に携帯トイレを購入し、風呂に入った。窓の外は、暗くて見えなかった。
風呂の後には、エブリワンで買ったビールを1本だけ空けた。翌日は4時起きだ。ビールを飲んだあとは、さっさと布団に潜り込んだ。

□8月22日(木)
この日は、朝4時になるはずの目覚ましよりも少し先に起きた。利尻山への登山の一日の始まりだ。
持ってきた荷物のパッキングを終え、5時に宿の主人の車で登山口のある北山麓野営場へ。宿からものの10分ほどで到着した。野営場には何組かのグループが、準備運動をしている。彼らも、利尻山に登る人たちである。
ところで、利尻山には「利尻ルール」というこの山独自のルールが制定されている。これは、自然環境の急速な悪化が続く利尻山を守るために、2008年に利尻山登山道等維持管理連絡協議会によって制定されたもの。

1) 携帯トイレを使う
2) ストックにキャップをつける
3) 植物の上に座らない、踏み込まない

という3つの項目を呼びかけている。
我々は携帯トイレを事前に購入していたので、それを持って入山。ルールを守りながら山を楽しむことを心に誓った。
利尻山は多くの花が咲くことで知られている。俺は花の種類をよく知らなかったので、とりあえず写真だけ撮ることにした。山は2合目の野営場から登り始め、3合目に甘露泉という湧き水が出ている。7合目あたりまでなだらかな登りが続き、その後は急な登りになる。9合目からはさらに急な登りの上、ガレ場となるのでロープを使いながら登っていく。山頂に着いたのは10時前。5時間近くで登ってきたことになる。
途中までは礼文島が見えていた利尻山も、山頂付近はガスっていて眺望はゼロ。雨が降らなかっただけよしとしよう、ということで早々に下山を決定。下りもなかなかタフな道だった。午後2時40分頃に野営場に到着、靴を洗っていると夢海の店主が迎えにきてくれた。宿のこういったサービスは、たいへんありがたい。
帰りの車の中で、主人がこんな話をしてくれた。
「中には、海に足をつけて、そこから利尻山に登る人もいるんだってね。」
なるほど、海岸から一気に登っていく利尻ならではの、山の楽しみ方だと思う。前述のライダーハウス「眉倶楽部」のウェブサイトにも、同じようなことが書いてあったような気がする。千葉だと富山あたりでできそうだ。
山から下りてきてヘトヘトではあったが、ペシ岬からの眺望も気になったため、風呂の前に行ってみることにした。途中、利尻の警備にあたった会津藩士の墓を見つつ、岬の頂点へ。西に礼文島、遠くサハリン、稚内が見えた。利尻山は、まだ雲に包まれていた。フェリーが礼文島に向けて出航した。明日は礼文島だ。そう思って、夕焼けに染まりつつある岬から下りてきた。
利尻登山を無事に終えた我々は、エブリワンの手前にあった佐藤商店で大量の酒を購入し、夜宴に備えた。その後風呂に入ったが、この日は我々しか宿泊客がいないということで、景色がよくて規模の大きいほうの風呂を用意してくれた。ペシ岬や海を眺めながら、しばし登山の思い出に浸った。夕食も海の幸をふんだんに使った贅沢なものであった。ウニの土瓶蒸しは、俺にも自然に入ってくる味わいであった。
その日の夜は、無事の下山を祝してたくさん飲んだ。いろんな話をして、満腹になって寝た。
さて、翌日は礼文島だ。

(続く)

北海道への旅(その1)

2013年の夏は、慌ただしく過ぎた。
元々8月上旬に富士登山を計画、その後21日から25日まで鹿児島にイプシロンロケットの打ち上げを見に行く予定だったところ、ロケットの見学場である宮原(みやばる)が抽選となり、それが外れてしまった。20倍を超える抽選倍率では、当たるほうがどうかしている。結局、21日からは北海道に行くことにした。
北海道では、利尻山に登りたいと思っている。それ以外は特に考えていない。さて、今回はどうなることだろうか。

□8月21日(水)
昼に、今回の旅の道連れとなるHYと合流。すると、空港にいないはずのもう一人の友人、TTが羽田空港にいる。どういうことか尋ねると、TTは家族旅行で沖縄に行くのだと言う。たまたま出発日と時間帯が重なったということで、みんなで昼ご飯を食べた後、互いの健闘を称えて(?)それぞれの飛行機に乗り込む。
私とHYを乗せた飛行機は、混雑のせいもあってか10分遅れで羽田を発った。
この10分の遅れを、俺は機内で常に気にしていた。というのも、飛行機が稚内に到着する予定時刻が15時05分、フェリーターミナルから出航する利尻島行きのフェリーが15時40分に出発するからだ。これを逃すと、その日に利尻島に渡れなくなる。
もしもこの日に利尻島に行けなかった場合、宿のキャンセルをはじめ、その後の計画が大きく乱れることは必定であった。とにかく、フェリーに乗るまでは安心できないと思っていた。10分というロスは非常に大きい。そのため、何としてでも時間を守るという意識を徹底したいと思った。

四国の旅(その5)

9月29日(木)

いよいよ高知の旅も最終日。帰りたくないというか、仕事に戻りたくないという願いと共に、愛媛県をめぐる。
まずは、今治城

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湯の浦温泉からは車で20分ほどの場所にある。
築城の名手、藤堂高虎(像)によって作られた城で、お堀の水は瀬戸内海の海水を使っているとのこと。
ウォーキングのイベントの準備で慌ただしかったが、城の中に入ると人もまばらでゆっくり見学することができた。甲冑の多さ、付近の動物などのはく製などが置いてあり興味深い。天守閣からは広島につながるしまなみ海道を望むこともできた。

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朝の早い時間から階段を上り下りしたため、ちょっとバテた。
今治城の次は、松山城に向かう。所要時間は1時間ほど。
11時半ごろに、松山城に着いた。無料の駐車場に車を停め、天守閣のある勝山のぼり。標高132メートルまで登りきったところに、城門がそびえていた。
松山城にあるいろんなものには、丁寧な解説がついている。それらを読むと、城についての知識がぐっと深まるのでいいと思う。しかし、松山城の解説文には、必ずといっていいほど最後に文書が付け加えられている。

…昭和十年に国宝に指定されたが、同二十五年法の改正により、重要文化財となった。

現在は重文だが、以前は国宝だったのね。
四国に来てはじめにみた丸亀城にも同じようなことが書いてあった。
気の毒な四国の城。

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松山城。重要文化財に格下げになりました\(^o^)/

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松山城へ、ようこそおいでたなもし!(よしあきくん)

さて、松山城の登山の汗を流すべく、最終目的地の道後温泉へ。
道後温泉は松山城からほど近い場所にある。行ったのが平日の昼間ということもあってか、駐車場にはすぐ停められた。
駐車場のそばには、道後坊ちゃんビルという建物があるのだけど、これがあまりにトンデモないことになっていたので、気になる方はググってみてください。(※閲覧注意)

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こちらは道後温泉。日本三古湯のひとつである、由緒正しき温泉である。温泉の中は広く、入ることのできる温泉の数や、休憩スペースの利用の有無で金額が異なる。
この温泉、俺から言わせれば(同じく日本三古湯のひとつ)有馬温泉と共に俗化されたただの温泉である。非常に清潔感のある、整ったところだけに温泉街の風情というものが感じられないのが、自分がそう感じる要因だと思う。

温泉に浸かった後は、少し遅めの昼食。瀬戸内料理「味倉」でひゅうが飯というのを注文する。瀬戸内料理では鯛がひとつの名物料理になっていて、このひゅうが飯も、簡単にいえば卵ごはんと一緒に鯛のお刺身を食べる、みたいな料理であった。こちらもけっこうな賑わいで、お店の中から磯の香りがするのも個人的にはいいと思った。

食事を終えて、いよいよレンタカーを返却。近くのガソリンスタンドで満タン証明をもらい、車を返却。総走行距離は840キロにもなった。
車の中には、こんぴらさんでかったビニール傘が入れてあった。道中また使うこともあろうかと持ってきたのだけど、結局使わなかったしバッグにも入らないのでレンタカー営業所のおにいさんに使ってもらうことにした。

空港に着いたあとは、帰りの便の確認をしておみやげ購入。そして、手荷物検査ギリギリまでビールを飲むことにした。道後ビールをじゃこ天と共にいただく、四国最後の食事。そして手荷物検査の後、搭乗口で一杯飲んで飛行機に乗り込む。
飛行機の中では、離陸してベルト着用のサインが消えた直後にビールを注文。着陸直前まで2人で6本のビールを開ける暴挙に出た。気圧も影響してか、へろへろになって飛行機を降りた。

四国から羽田空港まではあっという間である。
この距離の近さに多少の違和感を覚えつつも、帰りのリムジンバスに乗り込む。
帰宅したのは夜になってからだった。

- あとがき -
旅に出る前は、自分の生活にも謎の手詰まり感があって、「なんかおもしろいことないかな」という気持ちで出かけた。結果的には、友人や先輩のおかげで、とても充実した5日間であった。
知らないことをたくさん知ったり、美しい景色を見たり、人との交流があったりして、これだから旅はいいもんだ、と思えたことが自分にとっての幸せであった。
同行者のHには、毎度こんな旅に付き合ってもらって、よく飽きないなと思いつつも、次の旅も機会があればよろしくと申し上げたい。その前にお互い彼女つくろうぜ

なお、初日に友人Kが高松空港でもらってきてくれた四国ツーリズム創造機構「四国で得するパスポート」は、フリープランで四国をめぐる人にたいへんお得なクーポンとなっている。ネットからプリントアウトすることもできるようになっているので、四国への旅行を考えている方は参考にしていただきたい。

(おわり)

四国の旅(その4)

9月28日(水)

今回の旅の中で、いちばんだるい朝だった。体が重い。笑いすぎてのどが痛い。
部屋が電子ロックだったため、チェックアウトの必要すらないホテルをチェックアウトし、目的地であるうどん屋さん「いろりや」に向かう。

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いろりや。同行者の強い希望で目的地認定。高知市内から2時間ほどかかった。

俺が注文したのは、冷やし肉玉うどん。うどんのおいしさもさることながら、肉も卵もこだわりの一品を使っていて、うまい。それでいて価格が安い。
香川では3店舗を回ってうどんを食したが、こちらのうどん屋さんにもうどんにかける意気込みを感じた。残念だったのが、地元で獲れるというかつおがこの日はあがらなかったこと。次に行く時には、かつおのたたきを食してみたい。

いろりやは高知県の南のほうにあるため、どうせだったら四国最南端と言われる足摺岬まで行ってみようと思い、車を南に走らせる。途中、ガソリンスタンドで給油して、一息入れる。
ナビの指示に従いながら、県道27号線に差し掛かった瞬間、急に道が細くなった。これまでは上下1車線だった道路が、突然1車線になってしまった。そこからは、車のすれちがいもしづらいような道を、延々と足摺岬まで行くことになったのである。

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これが県道…だと…

道路標識も制限速度もない、林道のような道であった。そういえば、ガイドブックに「四国の道は通行困難なところが多いから、気をつけましょう」みたいなことが書いてあった。都市間の移動には高速道路を使うのがよいという理由が分かった気がした。
後から知ったのは、有料道路だった県道348号線(足摺スカイライン)のほうが便利なこと。ナビに頼りっぱなしになるのではなく、そういった情報収集も大切だと感じた。

さて、足摺岬に到着。断崖絶壁の、恐ろしい場所である。

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桂浜と同様、波が高い。

ここには、ジョン万次郎の像が立っている。漁の最中に遭難し、アメリカの船に助けられた日本の留学生第一号。黒船来訪直後に国に戻り、日本のその後に大きな影響を与えるという、スケールの大きな男である。
C.W.ニコル著「勇魚(いさな)」にも出てくる。鯨好きには一読をおすすめしたい本である。
遊歩道を歩いていると、「地獄の穴」という興味深い穴があった。

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ほほう、どれほどのものか、と思い、お金を入れてみることに。
穴をのぞき込んだら、

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底が見えてるじゃないか!
これじゃチリンチリンて音しないよ、と思い、お金の投入を断念した。金剛福寺がどこにあるかは知らないが、お金がそこまで届かなくて残念だった。

その後、灯台をぐるっと回ってアロウド浜へ下りる。景色のきれいな浜だけど、砂浜ではないので遊泳はできないっぽい。

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ここには、天然記念物の白山洞門がある。花崗岩でできた洞門としては最も大きいサイズのもので、研究の対象にもなっているとのこと。見る角度によってはハート形をしており、一緒に見る人によっては少しだけイイ感じになるかもしれない。俺の場合、全然イイ感じにならなかった。(同行者が男だから)

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このあたりの石は、波に洗われてたまごのような形をしている。
ひとつ持って帰るか、ということで、小さいサイズの石をおみやげとして持って帰ることにした。海岸のおみやげは、伊勢に行って以来2個目である。

足摺岬の観光を終えた我々は、次に宇和島を目指した。現存12天守のひとつ、宇和島城があるということだったのだが、あいにく営業時間には間に合いそうにない。しかし、翌日は松山空港から帰る必要があるため、なるべく松山に近付いておこうということで城が開いてなくても宇和島に立ち寄っていこうということにした。
宇和島までの道(国道441号線)も、県道27号と同じく狭い道であった。前の車がけっこうとばすので、その車について行くように走った。
そばを流れるのは四万十川。吉野川と同じく、エメラルドグリーンの川であった。なぜ川の色が緑なのか、祖谷渓の川下りの時に船頭さんが教えてくれたのによると「川の中の藻に光が当たって、それで川が緑に見える」のだそうだ。藻の色がなければ、どちらの川も透き通った青なのであろう。どちらも、お酒の銘柄になるようなイメージの良い川である。

宇和島は、事前の情報不足もあり、山の上に城がちょいと見えた以外は取り立てて特徴のない街に思えた。本来であれば闘牛などで盛り上がるところなのだろうが、とにかく城が開いていないということで、この街にとどまる理由はほぼなくて、急いで松山付近に向かってしまおうということになった。
急いでいたため、宇和島城の写真は撮ってない。
と、ここで考えるに、愛媛県の北部には今治城と松山城がある。今回は同行者の希望で、城をなるべく多くみられたらいいということだったので、まずは午前中に今治城を見て、その後松山城を見て帰るという計画でどうだろうと考えた。(松山城は松山空港の近くにある)
今治城の近くに宿を取ることにして、まずは今治に向かった。途中、おなかがすいたので伊予灘サービスエリアで「肱川(ひじかわ)ラーメン」を食べた。普通のラーメンに思えた。
ラーメンを食べた後、携帯電話を使ってホテルの検索をしていたら、今治にある湯の浦温泉というところのホテルがよさそうだということになった。「ホテル アジュール」は、結婚式場も備えるようなホテル。ここに、これまで宿泊してきたようなビジネスホテルとそれほど変わらない金額で宿泊することができた。部屋は広大、大浴場があり、朝食も付いているという、最終日の晩にふさわしいリッチな気持ちになれるホテルであった。同行者の部屋で乾杯し、徳島で買ったすだち酒を飲みほした。たいへん気持ちのいい夜であった。
なお、このすだち酒は本当にうまい。女性でも飲みやすいと思うので、ぜひおためしください。

一日を終えて、「今日はほとんど車に乗っていたなあ」と思った。それもそのはず、高知市内から四国最南端まで行き、その後四国の北の果てまで行ったのである。ルートを見直してみて、その距離の長さにびっくりした。

さて、明日はいよいよ帰る日。しっかり寝て、帰りに備えることにしよう。

4日目、おわり。

(続く)

四国の旅(その3)

9月27日(火)

前日から本日にかけては、阿波池田という駅の近くにあるビジネスホテルに宿泊していた。
目が覚めてチェックインを済ませ、外に出るとそばを四万十川が流れている。日光白根山の山頂にある巨大な水たまりのような、エメラルドグリーンの川である。
この四万十川を、国道32号線沿いに南下すると祖谷渓(いやけい)がある。両側を山に囲まれた、美しい谷である。当日は快晴、少し暑いけどさわやかな風を受けて車を走らせる。

はじめに向かったのが、四万十川の川下り。レストランまんなかというところで、随時船を出している。チケットを買うと、船の出発は30分ほど待つ必要があると伝えられる。ひとまず、朝ごはんがわりに名物祖谷そばを食べる。関東のそばに比べると、麺が太くつゆの色が薄い。
そばを食べたのち、いよいよ乗船。

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上から見るとこんな感じ。

天竜川での事故があったせいか、救命胴衣の着用は必須事項とのこと。
船までたどりつくと、チケットを渡して写真を撮ってくれる。
あとで販売するのが目的だろうが、野郎ふたりで船に乗るという、なんともおかしな構図の写真をなかば強制的に撮られてしまった。
船は時刻通りに出発、船頭さんの説明と共に川をくだる。このあたりの岩は埼玉にある長瀞の岩と同じものらしく、そんな説明を聞いていたら確かに、この感覚は長瀞の川下りに似ているなと思った。

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ちなみに、長瀞は石畳といって石が平べったくなっている。

あと1ヶ月もすると、祖谷渓は紅葉のシーズンを迎えるのだとか。緑の豊かなところなので、紅葉もさぞ美しいことだろうと思いながら、川を上り返してきた。
川下りは当日チケット1050円だが、乗って損はないと思った。

続いて、祖谷渓名物かずら橋に向かった。
祖谷渓には平家の落人伝説があり、かずら橋も追手がやってきたときのために、簡単に切り落とすことができるようにとかずらで作ったという説があるという。なお、我々の旅の中で、平家の落人というのはとある理由(観光地が衝撃的すぎた)によりNGワードになっているため、この橋に対してもあまりいいイメージを持てないでいた。

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しかし、行ってみるとすごい。

川の上にコンクリート製とかずら製の2本の橋が並んでいて、上の写真はコンクリート製の橋から撮ったところ。かずら橋は、いかにも木でできた橋という感じを醸して、人が歩くとゆらゆら揺れているのが分かる。ビジュアル的にかなりよさげだったので、我々も急ぎ橋を渡ることにした。かずら橋は3年に1度作りなおすことになっているらしく、ここも橋の通行料がかかる。500円。

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カイジの「鉄骨渡り」を想像して頭の中で「ざわ・・・ざわ・・・」とか言ってる

写真ではよく分からないのだけど、足もとの木の感覚が微妙に開いている。落ちることはまずないのだろうが、そのすきまから下に川面が見えて、恐怖をあおる。スリル満点、お子様にはおすすめできない、大人の橋渡りなのである。橋を渡り終えたあと、なぜか無人販売所で梅干を買って食べた。きっと緊張していたのだろう。3粒100円。

かずら橋で流した汗を流すべく、日帰り温泉「サンリバー大歩危」へ。他にも温泉はあったのだけど、こちらの温泉がガイドブックに掲載されている日帰り温泉の中でいちばん安かったので、こちらに決定。ちなみに、かずら橋に近い日帰り温泉は、どこも1000円~1500円。
比較的安い温泉ながら、シャンプー、ボディーソープはある。タオルも販売している。
男湯は5階にあり、眼下に祖谷渓を望みながら湯に浸かるというのは非常に気持ちのいいものであった。露天風呂もあった。

気持ちのいい谷でのアトラクションを終え、高知に向かう。高知には、同行者の先輩と後輩がいて、この日の夕方にはりまや橋で会うことにしていた。
高知に到着したのは昼過ぎだったため、まずは昼食を食べる。旬彩鮨処 なごみは、午後2時までランチメニューがあっておいしい海の幸を安価に食べられる。
その後、高知城へ。高知城は山内一豊が築城したということで、大河ドラマ「功名が辻」好きの同行者には非常に興味深い城だったようである。もっとも、奴が好きなのは仲間由紀恵なのだけど。

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カメラをもっていき忘れたため、携帯での撮影となった。
高知城には、土佐出身の板垣退助の銅像があった。遊説中に襲われ、「板垣死すとも、自由は死せず」の言葉を残して直後に亡くなったのかと思っていたが、生きてその後も活動を続けていたことを初めて知った。

高知城の次は、桂浜。こちらは別の大河ドラマ「龍馬伝」でも撮影に使われていたということから、これを見ていた俺が行きたいと思っていた場所である。駐車場のそばに、「闘犬」と書かれた巨大な犬がいたこと、海を眺める坂本龍馬の銅像がやたら巨大だったことが印象的である。

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闘犬。常設の闘犬会場があるのは、桂浜だけらしい。

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龍馬像。でかい

まさか龍馬を見に来て闘犬とは、以外でウケた。
さておき、桂浜は波が高くて遊泳禁止の浜。立て看板がいくつも立っていて、それによると今年も8月3日、27日に水難事故が起きているらしい。実際波も高く、これは泳いだら流されてそのへんの岩に頭ぶつけて死ぬかもと思った。

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桂浜を眺めた後は、ホテルにチェックイン。あまり時間がなかったので、急いで待ち合わせ場所のはりまや橋へ向かう。橋では、同行者の先輩と後輩が待っていた。ごあいさつの後、4人で居酒屋へ。居酒屋の名前は忘れてしまったが、3500円で2時間食べ飲み放題という、なんとも嬉しい感じのお店であった。
我々は、土佐名物のカツオのたたき、塩たたきをいただきながら、ビールを飲んで学生時代のいろんなことを話した。中には、今だから話せるようなこともあった。同じ大学の人間と久しぶりに会うのは楽しいなぁとあらためて感じた。
その後、「おびや町小路」にあるお店でハイボールをいただき、先輩の奥様からの「帰ってこい指令」をみんなでかわしながら(かわしきれてなかった)、最後はラーメン屋でしめた。

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先輩、後輩と別れたのは12時を回った頃だった。ホテルに帰って、すぐに眠ってしまった。

3日目、おわり。

(続く)

四国の旅(その2)

9月26日(月)

朝から、どんよりとした雲がたれこめるような、何ともイヤな感じの朝だった。
前日の夜に購入しておいたパンを食べて、朝8時半より行動開始。まずは、香川の観光地の中で鉄板の誉れ高い「こんぴらさん」へ向かう。
途中、雨が降り出す。旅に出る前の週間天気では、晴れの日が続くと言われていただけに残念な気持ちである。
高松市内から1時間弱ほどで、こんぴらさんに到着。県外からも多くの信仰を集める神社であるが、ここのすごいところは階段が非常にたくさんある、むしろ山の中腹にご神体を祭ったことである。本宮までの階段は785段。みんな息を切らせながら登っていく。

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ひたすら登り。
本宮に到着すると、奥宮やその先の山頂まで続く道が続いている。しかし、我々はここでおしまいにして、お参りをしたり周囲の景色を眺めたりしていた。

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本宮。立派であります

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讃岐富士と呼ばれる飯野山(いいのやま)が見える。富士の名に違わぬ美しい山容だ

下山して、こんぴらさんを後にする。
次に向かったのは、讃岐うどんの聖地「山越うどん」。この店は、釜玉うどんを広めたお店として大繁盛しており、周囲に学校や民家、田んぼしかないようなところにうどん待ちの列ができるという異様な光景を醸していた。ちなみに、我々が行ったのは平日の午後12時過ぎだったが、並んでから注文まで、約10分ほど待った。
朝ごはんをパンひとつで済ませていたため、けっこうおなかがすいていた。このお店では満腹になる必要があると感じたため、取り急ぎ釜玉うどんを3玉注文した。これが間違いだった。
量が多すぎて、食べるのに難儀した。でも、おいしかった。トッピングの鳥唐揚げもおいしかった。コショウがきいていて、前日に食したチョキチョキ鶏を思い出した。

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山越うどん。営業は午後1時半まで。

満腹のまま、高松空港に一旦戻る。ここでレンタカーを借りて、Kさんとお別れ。
Kさんは香川在住の人なのだが、1泊2日で我々の旅に付き合ってくれた。大変助かりました。
高松を出た我々は、一路徳島へ。徳島といえば、なると。鳴門海峡の渦を見たくなって、一路鳴門海峡へ向かった。
そしたら、高速道路に「災害通行止」の電光掲示。なにィ
高松自動車道では、先日の台風15号の影響で、しばらく通行止めになってしまったのだそうだ。とりあえず、途中で高速を下りて鳴門海峡へ向かう。
途中、ドイツ館という建物があるということを知り、ドイツ館に行ってみる。すると、

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本日休館

なんだってー!
しかたなく、何もすることができずにドイツ館を後に。非常に残念な気持ちだった。
そして、鳴門海峡にたどり着いた。
うず潮は、満潮時と干潮時にいちばんでかくなるとのことで、この日の満潮時刻(午後5時10分ごろ)に合わせてうず潮見物施設「渦の道」に行ってみた。
満潮時刻まで待つこと約1時間半、待てども待てども期待していたようなうず潮は出ない。

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こんな感じ

満潮の時刻を過ぎても全然ダメな感じだったので、あきらめて帰ることにした。
このままだと悔しかったので、入口にいたおじさんに話を聞いてみたすると
・写真に収まっているようなうずは、なかなか見られない
・上から眺める渦は、我々の予想より小さく見える
・満潮時と干潮時で、渦の発生しやすい場所が異なる。満潮時は淡路島寄りにうずができて、干潮時は四国寄りにできるとのこと。我々は満潮時を目指していったため、あまりよろしくなかったのかも

失意のまま、徳島ラーメンを食べに行く。
今回訪れたのは、「中華そば ふく利」。こちらも行列ができる人気のお店とのことだったが、我々が行った時間帯にはあまり多くの人はいないようだった。こちらでスタンダードなラーメンをいただいた。徳島ラーメンの特徴は、ラーメンに生卵を入れることだと思った。

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ふく利。食事後に割引券をくれた。

さて、この日は徳島ラーメンを食して終わりとなったのだが、次の目的地となった祖谷渓(いやけい)に向かい車を走らせるほうが翌日の行動に余裕が出る、という判断から、祖谷渓のそばで泊まることにした。
鳴門海峡で友人がうずまきを探している間、俺は携帯をいじって宿を取ろうとしていた。結果、金額はまずまず、部屋の中も「こんなもんか」的なホテルであった。
二日目、おわり。

(続く)

四国の旅(その1)

夏にたいした旅をしなかったので、いつもヒマそうにしている友人を引き連れて四国をめぐることにした。
4泊5日、自分の旅の中では比較的長いほうである。四国を選んだ理由は、これといって特にないのだが、あえて挙げるとするならば「香川でうどんが食べたい」(映画の影響)くらいのものである。

9月25日(日)
出発の日。午前中の飛行機で高松空港へ降り立った我々は、現地で待っていてくれた同期のKさんの車に乗り込み、さっそくうどんを食べに「こだわり手打ちうどん 山」へ向かった。

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山。のれんにそう書いてある。

お品書きには、ぶっかけやら生醤油やら、独特の表記が目にとまる。
さぬきうどん初心者の我々3人がおろおろしていると、お店のおかみさんがいろいろ教えてくれた。こちらのお店は、注文すると出てくるうどんに自分でトッピングするようになっている。できあがったマイうどんをお店の中でいただこうとしたら、「外もあるよ」とのこと。せっかくなので、外でいただこうということに。

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外の眺め。

瀬戸内の海を眺めながら、うどんを食べる。なんてぜいたくなことなんだ、と思った。うどんは、もちろんおいしかった。
ところで、このうどんやさんを選んだのには、理由がある。それは、お店の外でいろいろアトラクションが体験できるというのだ。確かに、三輪車やブランコがお店の外に見える。ちょっと歩くと、バイクを走らせるオフロードのコースもある。そして、弓道をやっている俺をときめかせたのは「弓を引ける」という噂であった。
うどん注文時におかみさんに「弓を引けますか?」と尋ねたところ、お店の方が一緒についていればOKとのことで、期待して待っていたのだがその日はあいにくお店の方がいないとのこと。ちゃんとした道場があるわけではないので、万が一のことが起こってはいけないということから、お店の方がいないと弓は引けないという。まったくその通り。ということで、弓を引くことはできなかったけど、うどんはいただきました。次に行くことがあれば、もう一度行ってみたいお店だった。

「山」をあとにした我々が次に向かったのが、またもうどん屋さん。「あたりや」というこのお店は、スポーツクラブの駐車場の地下に下ったところにあるという、なんとも微妙な立地のうどん屋さんであった。たいへん人気のあるお店らしく、我々が行った午後1時半(くらいだったか)ごろでも、お店の中は満員であった。こちらのお店も、おいしいうどんであった。

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あたりや。こちらのお店のほうが弓っぽい。
ところで、このお店には「北斗神拳伝承犬 ケンシロウ」が君臨しているらしいのだが、その姿を発見することはできなかった。むしろ、旅から帰ってきてはじめてその存在を知った。

うどんを2玉食べて腹も満たされたところで、丸亀城を攻略することにした。丸亀城は、昔ながらの天守閣が残る12の城のうちのひとつだそうだ。なお、読み方は濁って「まるがめ」である。

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いくぞ~

お城の中では、バサラ京極隊が出演のための準備をしていた。この段階では、彼らが何者なのかは分からなかったので、取り急ぎスルーすることにした。
丸亀城は、こじんまりとしていながら、しっかりと造られているという感じの城であった。石垣も立派で、お城のあちこちでガイドさんが見学者に丁寧な解説をしているのを見ることができた。

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天守閣。まわりをうろうろしていたら、受付のおじさんが天守閣まわりのことを教えてくれた。
さて、午後3時を回ったところで、ドーン ドーンと太鼓の音が。受付のおじさんが「京極バサラが始まるな」と言ったので、彼らがどんなことをするのか見に行ってみることにした。
バサラ京極隊は、「京極丸亀藩の歴代7藩主と戦国時代の武将として京極家の再興を果たした『京極高次』、その妻『初(常高院)』たちが、粋で奇抜な丸亀婆娑羅の気風を融合させたオリジナル衣装を身にまとい、おもてなしいたします。」(公式サイトより)という団体さんである。自己紹介ののち、歌や踊りを披露して、最後に希望者と記念撮影をしていた。この方々の本業はいったい何だろう、みたいなことばかり気になっていた。

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こどもにも大人にも人気。今後の活躍に期待大

お城も見終えたところで、Kさんより「巨大な寛永通宝見ない?」と提案が。どうやら、山の上から巨大なお金を見降ろすことができるという場所があるらしい。
琴弾公園というこの公園に行き、そこから下を見てみると、確かにお金が見える。

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看板の解説を読むと
・徳川家光公の讃岐巡遣使をもてなすために、古老たちが考えて一晩で作った
・これを見ると、「健康で長生きできて金に不自由しなくなると言われている」
とのこと。これを一晩で作った人たちもすごいと思うが、健康で金に不自由しなくなった自分の人生のこれからが楽しみでしかたない。

夜は高松市内に宿泊。
車をホテルに止めて、高松駅近くの居酒屋に繰り出す。
香川の郷土料理「しょうゆ豆」や、骨付鶏をおいしくいただいた。骨付鶏は、コショウと塩がきいていて、ビールによく合う。ハサミでチョキチョキ切り取って鶏を食べる体験をした。
一日目、おわり。

(続く)

信州で空を見上げた

昨日から今日にかけて、長野県内をうろうろしていた。
目的地は、大きく3つ。
野辺山電波観測所
佐久市子ども未来館
臼田宇宙空間観測所
空気のきれいな信州で、星を見ながら悠久の宇宙に思いを馳せる、みたいなことをやりたいと思っていた。それに、野辺山の観測所は年に一度の特別公開の日。子ども未来館は「はやぶさ」カプセルの展示を行っていた。
以下、報告。

<野辺山電波観測所>
45メートル電波望遠鏡をはじめとして、電波ヘリオグラフ(太陽観測装置)、ミリ波干渉計などが並ぶ観測所。この日は多くの見学者が訪れ、所内を歩きまわっていた。45メートルの電波望遠鏡は、観測の邪魔になる空気中の水蒸気が多い今の時期は動いていないらしく、この日はデモンストレーションで担当のおにいさんが動かしていた。マウスのクリックひとつで巨大パラボラアンテナが動くのがびっくりした。
そのほか、日本で初めて太陽からの電波を受信した装置や、向かい合ったパラボラアンテナで遠くにいる相手と話ができる装置など、見て体験して楽しいものが点々を置かれていた。
本当にいろんなイベントをやっていたので、宇宙からやってくる電波や太陽について知りたい人にはおすすめのスポットである。

<佐久市子ども未来館>
普段は子ども向けの科学館だと思うのだが、8月19日から22日までは小惑星探査機「はやぶさ」帰還カプセルの展示で賑わった。あわせて、臼田宇宙空間観測所 元所長代理の山田先生、JAXAの阪本先生による講演が行われた。お二人の話は「はやぶさ」にまつわるもので、山田先生は「はやぶさ」が通信途絶した時のことや、「うすださん」の愛称で知られる64メートルパラボラアンテナのことについてお話ししてくれた。阪本先生は、「はやぶさ」が何をしにイトカワまで行ったのか、そして2014年に打ち上げる予定の「はやぶさ2」についてお話ししてくれた。俺にとっては、非常に分かりやすい話であった。山田先生はお話ししているときに何度か目が合ったが、優しそうな瞳の奥に、強い意志のようなものを感じた。
質疑応答の中で、「はやぶさプロジェクトを成功に導いた要因は何か?当事者に直接聞いてみたい」という質問があった。
山田先生「全員が、自分の仕事を全うしたこと」
阪本先生「『挑戦した』から成功があった」(挑戦をすると失敗するかもしれないが、挑戦しないと成功もない、ということ)
先生方の話に、心がグッときた。

<臼田宇宙空間観測所>
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ハレーすい星の観測をするために打ち上げられた衛星と通信をするために作られた、日本最大のパラボラアンテナ。そして、「はやぶさ」の日本での唯一の話し相手。
2005年12月に通信途絶に陥った際には、翌年1月に見つかるまで根性の呼びかけを続けたアンテナである。言うまでもなく、「はやぶさ」ファンにとっては、巡礼すべき聖地のひとつである。
見学できるものの数はそれほど多くない。アンテナと資料室のみだが、資料室ではパラボラアンテナができるまでの映像資料の上映があるので、時間があれば見ていくのが良いと思う。

☆臼田観測所に至るまでの道のこと☆
国道141号線にて、下小田切の交差点から南西(県道121号線)に進むとアスファルトの道のみで行けるが、佐久IC方面からナビで検索すると、その手前で県道150号線から行くよう案内されるかもしれない。県道150号からの道においては、途中ですれ違いが困難なジャリ道を通らなければならないので、お勧めできない。
観測所までのアスファルトも、でこぼこしている箇所があり、2つくらい強烈な段差があるので気をつけていただきたい。

<<結論>>
観測所、子ども未来館の中は非常に楽しめたのだが、天候が悪かったのが悔やまれる。
二日間ともどんよりした空模様で、星はまったく眺めることができなかった。
八ヶ岳連峰を見ることもできず、残念であった。