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EOS M まもなく発売

キヤノンより、9月29日にカメラが発売される。
その名はEOS M。キヤノン公式サイトの紹介によると、「エントリーユーザー向けミラーレスカメラ」という。デジカメで、気軽に高画質な写真を撮りたい人向けのカメラということができそうだ。

ところで、ミラーレスとは何のことか。
カメラにこだわる人がよく使う「一眼レフカメラ」というのには、レンズに入ってきた光をファインダーに通すためのミラーがついている。シャッターを切ると、このミラーがパタッと倒れて、レンズの光を受光素子へ導く。
ミラーレスカメラは、このミラーがついてない。レンズの光は受光素子に当たっているので、光学式のファインダーのかわりに液晶ディスプレイを使ってこれを表示する。

ミラーがないと、本体を薄く、軽くすることができる。一眼レフはでかいので、手軽に高画質を得たい人にはおすすめのカメラといえよう。
また、ミラーレスカメラは、レンズを交換することができることが特徴だ。EOS Mの場合、EF-Mマウントという新規格のマウントを使うことになるが、従来のレンズも使えるようにアダプタが同時発売される。EFマウントの資産を生かすことができるというのは、これまでキヤノンのレンズを使ってきた人には朗報だろう。EF-Sマウントはどうなのかというこが公式サイトには書いてないが、同マウント用の白い目印が製品に見えることから、問題なく使用できることが考えられる。

キヤノンが2003年に「EOS Kiss Digital」を出した時、そのクオリティと実売価格の安さ(レンズキットで13万円)で業界には革命が起こった。この年、デジタル一眼レフが爆発的に普及するわけだが、キヤノンはミラーレスカメラでは業界最後発となった。
しかしその分、他社の製品をじっくり研究することができたわけで、その完成度に期待が高まる。
コンパクトデジカメとは一線を画す高画質とともに、秋の旅に出るというのもいいかもしれない。
構造上難しいと思うが、防水だったりすると嬉しい。
(あと耐衝撃も)

「黒部の太陽」を観る

□あらすじ
黒部ダムの建設のために、長野県の大町から黒部川に至るまでの関電トンネルを掘削する男と、その周囲の物語。

□映画の背景
黒部ダムの建設が始まったのは、昭和31年。戦後の関西方面に不足していた電力を供給するため、黒部川流域に発電所を建設することは国の使命を帯びた工事となった。黒部川の下流域には、昭和15年に運用を開始した黒部第三発電所があったが、これは日清戦争に必要な兵器を製造するための電力を賄うための発電所であった。
黒部ダム周辺は、ダム建設までは手つかずの自然が残されていた地域であったが、ダム建設後は映画の舞台となった関電トンネルにトロリーバスが走り、山々を長野から富山まで縦断する立山黒部アルペンルートの一部として観光に供されることとなった。

□みどころ
当時は映画界の掟として、「他のプロモーションから、俳優を引き抜いたりレンタルしない」という五社協定なるものがあったらしい。しかし、日活の監督だった熊井啓は、石原プロモーションの社長である石原裕次郎、三船プロモーションの三船敏郎と共にこの協定に宣戦布告。当時のルールを打ち破って、この映画を作り上げた。
そのため、二人が同じ画面で演技しているところが見どころだと思う。

□lこの映画をより楽しむために
しばしば、黒部第三発電所のことが話題に上る。この発電所も、建設のために行ったトンネル工事が難工事を極めたことで有名である。
以前、吉村昭の「高熱隧道」を読んだ感想を書いたが、「黒部の太陽」を観るのであれば、事前に高熱隧道を読んでおくことをお勧めする。
高熱隧道の時にも同じ感想を持ったが、我々がふだん何気なく使っている電気は、無数のみはしらの上に生み出された、大変に尊いものなのだと思い知らされる。
「電気は大切にね」というでんこちゃんのセリフが、今になって重くのしかかってくるようである。
本を読んで、映画を観終わった後は、ぜひ現地に足を運んでみたい。

抵抗勢力

新田次郎著「昭和新山」を読んだ。

昭和新山とは、昭和19年くらいから平地で火山活動が起きて、標高300メートルを超える山になってしまったという成り上がりの山である。
この山の出来上がる過程を子細に観察した三松正夫という人がいて、この人は最終的に、私財を投げ打って昭和新山を買い取ってしまった。
戦後、観光ブームがやってきて、昭和新山を億の値段で買い取ろうとする人が現れるが、三松は「私は研究のために昭和新山を買ったのであり、商売目的ではないのである」といって最後まで山を手放さない。
小説で主人公となる「美松五郎」のモデルとなった三松氏は、郵便局長の傍ら昭和新山の観察を続け、その観察報告は世界中で絶賛されることになる。

しかし、俺が言いたいのは、三松氏の業績もさることながら、この事実を隠蔽しようとした警察の体質である。
折しも昭和19年は戦争まっただ中。住民に無用な混乱を与えることは、戦時体制を揺るがしかねない大きな問題に発展する恐れがあるとのことで、昭和新山のニュースは全く報道されなかったのだという。
また、火山に対する知識、経験のない警察が治安・安全の確保を目的に居座り、住民から疎まれながら少ない備蓄を食い荒らしたのだと小説には記されている。実際に、警察は何も役に立たず、むしろ専門家に近い三松氏に対して警戒を強めていたという。
新田次郎の小説には、しばしばこういった反官的な記述が見られる。そのため、これがどれほど確実な情報であったかは分からないが、個人的にはそういう動きもあったのではないかと推察する。

公権力という言葉にもあるように、警察は合法的な権力を有したリヴァイアサンだ。対極にある勢力との決定的な違いは、合法であるかどうかに尽きる。
こういった人たちが、オラオラ言いながら危険地帯に足を踏み入れ、安全維持という大義を背負って威張り散らす。この時代の警察は、俺の最も嫌いな人種である。
このような態度は後になって禍根を残す。きっと、今でも昭和新山周辺の警察官は肩身の狭い思いをしていることであろう。
いずれにしても、三松氏の遺した学術的に偉大な成果が、お国の都合によって亡きものとされなくて良かった。昭和新山にはいずれ行ってみたい。

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