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「高熱隧道」を読む

吉村昭の「高熱隧道」を読んだ。

<あらすじ>
日清戦争の足音が聞こえ始めた昭和11年、阪神地域への電力需要に応えるため、黒部川の流域に発電所を建設する計画が持ち上がった。軍需産業を支えるためには電力の供給が国家的な課題になっていたため、軍からの要請は強かった。
この「黒部第三発電所」を建設するにあたり、全体の工区を3つに分け、それぞれを加瀬組、佐川組、大林組が請け負うこととなった。第二工区の佐川組、第三工区の大林組が順調に工事を進める中、第一工区の加瀬組に異変が起きていた。工事を行う人夫が、山から下りたきり戻ってこなくなってしまったというのだ。
原因は、工事を行っているトンネルが温泉の湧き出る場所にぶつかり、トンネル内の温度が高くなったことにあった。加瀬組は技術面、資金面でたいへんな苦境にあったが、ついにトンネルの掘削をあきらめてしまった。
第一工区の工事ができないとなると、これは発電所の建設工事の失敗を意味していた。そして、莫大な金と労力をつぎ込んできた佐川組、大林組はおろか、工事を発注した電力会社も経営の危機に陥る。ここで、電力会社は第二工区を引き受けていた佐川組に、第一工区の工事を請け負うように持ちかける。
カモシカや猿ですら立ち入らないような急峻な谷は、自然の猛威を振るって容赦なく人間の命を奪う。あるものは谷底に落ち、あるものはトンネルの熱にやられ、そしてあるものは雪崩に巻き込まれる。
極限状態の中で、人夫と彼らを統率する技師の人間関係を克明に描く。

<感想>
黒部といえば、映画「黒部の太陽」にもなった通称くろよん(黒部ダム)が有名である。このダムに蓄えられた水を使った発電所は「黒部第三ダム」であり、これが戦後に造られたものであるのに対し、黒部第四発電所は昭和15年に完成している。どちらの工事も難工事であったことが知られており、特に黒部第三発電所の建設にあたっては、300人以上の死者を出したものすごい工事であったという。
工事現場はとても生々しく描写されており、灼熱のトンネルの中で汗まみれになって働く人夫たちの苦闘が伝わって来るようだ。
なお、この本は創作などではなく、著者が可能な限り事実を調べた上で、企業名や人物名を書き変えているのだという。つまり、発電所は実在するし、300人以上の人がこの工事の犠牲になっている。
このような尊い犠牲のもとに、我々の生活は成り立っているのだと思う。電気を大切に、というならば、まずはこの本を読んで、電気を生み出すことがいかに大変なことなのかを実感すればいいと思う。グロ注意。

電車の遅延と原発議論

きょう、俺が通勤に使っている線路にトラブルが発生し、職場までの道のりを大きく迂回しなければならなくなった。迂回のために使った電車もたいへん混雑しており、ものの3駅ほどだったのだけど車内は超満員。下車した駅には、改札から出ようとする人と電車に乗ろうとする人ですごい混雑であった。これには驚いた。
幸いにも業務に支障はなかった。しかし、印象に残ったのは、我々乗客の「キレ易さ」である。まずは下車の際、俺は「降ります、降ります」と何度か前の人に伝えたうえで、流れに沿って電車を降りようとした。すると、俺の後ろに乗っていたおっさんがやはり「降ります」といって、後ろから両手を使って俺を押してくる。
この駅で下車する人は相当数いたため、あわてずに行動すれば前の人を押さなくても降りられることは分かっていた。しかしながら、このおっさんは自分が降りられないと思ったのか、グイグイ押してくる。
このままだと俺が前の人につっかかって危ないと思ったので、俺はおっさんに向かって「降りるから押さないで」と伝えた。おっさんは沈黙した。
また、改札付近では、駅員が振替輸送券を配っていた。こういったときの駅員の立場は弱い。ひたすら「ご迷惑をおかけして申し訳ございません」と言いながら、券を配っている。
そこへじいさんがやってきて、駅員に文句をたれている。「お前ら(JR)は、いつもトラブルばかりおこしやがって、国鉄以下だ」と言っている。

だが、このじいさんにはよく考えてほしい。
この駅員に向かって文句をいったところで、問題が解決するわけではないのだ。
そりゃ俺だって、駅員に悪態付いてこのトラブルが解決するんだったらいくらでもやっている。
暑さでイライラするのも分かるけど、俺はこういったシチュエーションで周囲を不快にする言動をする奴は大嫌いだ。駅員も、直接的に自分のせいではないことで不満を述べられて、さぞかし辛かったことであろう。
駅員にねぎらいの言葉をかけてやることができなかったのが悔やまれる。

さて夜になって、原発の再稼働の是非に関するコラムを読んだ。
原発を動かしても地獄(=メルトダウンのリスク)、動かさなくても地獄(=経済の停滞→自殺者の増加)、みたいなことが書いてあった。
国内メディアの反応は、冷静な議論を呼びかけるフリをして、反「脱原発」だ。
経済を回すためには原発は絶対必要で、何としても原発を動かせ、という論調だ。
このエコノミックアニマルどもが。と思う。
メディアにはスポンサー、すなわち広告主がいる。
広告主は、そのほとんどが会社を動かすために電気を必要としている企業である。
そいつらが「原発を停止しよう」なんて活動を支持するわけがない。

俺は、この議論の本質的な部分は、「未来に何を残すのか」ということだと思っている。
今、原発を停止すると、我々の子、孫の世代に何を残すことになるのだろう。
そして、原発を動かし続けると、同じく何を残すことになるのだろう。
核によって大きな犠牲を払い続けてきた我々が、いいことも悪いことも、ひっくるめて考えることだ。

今年の夏も暑いので、冷房をかけて寝ている。
いかん、これだと電気を使ってしまう。
そう思い、短い期間ではあるが高原に行って涼んでこようと思う。
現在計画中。夏の暑さにウンザリしている人、標高2500メートルに登れば涼しいよ。

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