先月末に大きな学生弓道大会が開催された。
観戦した。
学生弓道は、他の年代の弓道と違うところがたくさんある。
もはや別のものである。
我々の先生も、学生たちの弓を見て「あれは弓道ではない」と断言する。
なぜ、大学生の弓道だけがあんなにおかしなことになっているのか、少し考えてみた。
そのあと考えたもろもろについても書いてみる。
中学、高校の(まともな)弓道について、なぜまともか考えてみる。
中学や高校で弓道の指導に携わっている先生は、中体連や高体連の影響下で指導をしているのではないか、と考える。大学に比べて近隣地域との結びつきの強い中学、高校は、独自色を出すことが難しい。おかしな指導をしていると「あそこの先生はダメだ」みたいなレッテルを貼られてしまうだと思う。結果として、上部組織の指導方針をそのまま受け継いだような体配となる。
ところが、大学に入るとそうではない。大学の歴史は、ある意味弓道の流派の多様性の歴史でもある。それぞれの大学にそれぞれの指導方針があり、それゆえ多くの大学が全弓連と一定の距離を持っている状態なのではないかと思う。
そして、学生弓道は的中を唯一絶対の判断基準としている。中れば勝ち、そうでなければ負けという、弓道の常識とは遠く離れたところで勝敗を決している。いわゆる強豪校と呼ばれる大学には、全国の高校からセレクションで選ばれた選手たちが切磋琢磨し、日々的中に対する稽古を行っていると聞く。
この状態が、学生弓道を他の年代の(本来の)弓道から遠ざけてしまったのではないだろうか。
学生弓道にも変化の兆しはある。
全日本学生弓道選手権大会(インカレ)においては、応援が全面的に禁止になった。
全関東ではそのようなことにはなっていないが、もしかしたら遠くない未来に禁止になるかもしれない。
俺の回りにも「これだから学生弓道は」という人はいる。
本来の弓道を知っている人ほど、そういったことを言う。
しかし、俺は先日の大会で学生弓道の良さを再認識してしまった。
あれほどの的中は、おそらく社会人になってからは出まい。
毎日の稽古の積み重ねの上に、深みのある会、切れ味鋭い離れ、そして確かな中りがあるのだ。
個人でそのレベルを維持することは可能かもしれないが、学生弓道のすごいところは選手全員がその域に達していることである。的中の部分だけに関して言えば、いかなる組織も学生弓道を上回ることはできない。
もちろん、本来の意味において「弓道」とは的中を求めることにその意義があるのではない。
的中は結果であって、その過程が重要である。
しかし学生弓道は違う。これをやったことのない人には絶対に分からないことであるが、一度でも学生弓道を知ってしまった人は、どちらの気持ちも分かるようになるものであると思う。