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恐怖による統治の是非

俺が学生時代に所属していた部活は、いまリーグ戦の真っ最中。だけど、現役男子がどうにもピリッとしない。つーか弱い。個人が弱いのではなく、全体が弱い。
練習の時にはさりげなく良い成績を出すのだが、本番になると2割減くらいの成績となる。言いようのない閉塞感。試合の後に後悔しているのか、遅くまで練習しているのを見ていると「そんな練習いいから試合で勝ってくれ」と言いたくなる。
今の現役は、部員減少に歯止めをかけるべく実施された「甘甘大作戦」(仮称)の申し子であり、めちゃんこしかられることなく育てられた世代なのだ。それゆえ、無意識のうちに試合に対する緊張感のようなものが欠如してしまっているのかもしれない。
それで現役が楽しければ、いいのかもしれない。だがしかし、勝負に負けて得るものがあるわけがない。それは敗者の言い訳だと思う。現役部員たちは、もっと闘志をむき出しにしてやらなくちゃいけない。
そのためには、誰かが鬼になって恐怖政治を行わなくてはならないこともある。今の現役に、それができる奴はいない。理由は弱いから。恐怖政治を行うために必要なのは、絶対的な力。力を背景に、力ない者たちを統べる必要がある。でも、恐怖政治は諸刃の剣である。やりようによっては部を崩壊に導く。
現役の中に抜群の力を持った奴がいて、それがむちゃんこ部を引っ張っていくのが理想的な姿だ。俺はOBだから、恐怖政治などする気にはなれない。でも、今の現役のヘッポコぶりを見ていたら、いろいろ口を出したくなってしまう。もちろん、恐怖といっても絶対手は出さない。

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